「桑とシルク」製品開発にあたり

~医聖永田徳本先生に学ぶ新しい健康産業~

岡谷シルク及び地域由来の桑」等の和漢薬材料の”新たな製法”による健康食品等の商品化

戦国時代から江戸時代初期にかけての名医、永田徳本先生。薬草の大家。
現在も岡谷市の尼堂墓地には徳本の藍塔(墓)が残る。牛にまたがり「一服十八文」と書いた薬袋を首から下げて診察して周り、貧しい人々に無料で薬を与えたり、安価で診療を行うなど、世のため人のために生涯を尽くされた。

徳本先生はさまざま7な医学書、薬学書をもとに、学問、技術など立派なものにする努力の蓄積を 積み上げ、さまざまな薬草を使って多くの人の病を救ったといわれている。

そんな徳本先生の教えを現在に再び呼び起こし、徳本先生が使ったであろう岡谷に自生する薬草を使った新商品を開発し、人々の健康のお役に立てればと願っております。

tokuhon

医聖永田徳本先生

シルクエンペラー~片倉兼太郎~に学ぶ

世界No1企業を生んだ町岡谷から世界に再びシルクを発信する

片倉兼太郎は岡谷市川岸の生まれ、製糸業界に君臨した実業家。現在の富岡製糸所を引き継ぎ、現在の形を残す貢献者であり世界に君臨した人物。岡谷=No.1シルクといっても過言ではない良質な繭を生産し世界をとどろかせた技術をもう一度見直し、シルク関連で町おこしを進めていく。良質な桑、お蚕様の飼育、糸をとる技術が集結する岡谷で現代にあった製品を開発していくこととする。

初代片倉兼太郎

まちおこしと製品開発

そんな中で、岡谷市ではシルクの町としてもう一度町を活性化しようとする動きが出てまいりました。今では群馬県の富岡製糸場の世界遺産登録となり、シルク関連で盛り上がっている昨今です。

明治40年代というのは日本の産業を牽引した製糸業は、実は岡谷市生産量世界一だった。その中でも、岡谷市の片倉製糸(現在の片倉工業)が世界No.1企業だったことはあまり知られていない。我々市民はこのことに誇りを持ち、現代にもう一度あのにぎわいを復活させたいと思っている。

シルク産業を学んでいく中で、当時繭をつくるためにはお蚕様の餌となる上質な桑が必要でした。当時は多くの桑畑が存在しておりましたが、産業の衰退とともにほとんど切り倒されてしまいました。当時のにぎわいを知る桑はもう存在しないかと思われていたところ、一箇所だけ当時の株が残っていると連絡がありました。幸運にも岡谷市川岸にある中島桑という貴重な畑にめぐり合えたわけです。その畑の持ち主もあと半年もしたら処分するところでしたとお話しており、なんともラッキーなめぐり合わせとなりました。

世界の片倉を支えた桑は見つかりましたが、今は桑の用途がまったくありませんでした。何に利用して、町おこしをすればよいかと悩みました。そんなとき、500年前世のため人のために尽くした薬草の大家永田徳本先生の教えが頭に思い浮かびあがりました。桑の根は現在でも生薬として医薬品扱いされているものです。それでは、葉や枝を使って何か人々の役に立てないかと考え、桑の持っているさまざまな特性を勉強することといたしました。

人の健康に対する桑の有用性は日本でもかなり評価が上がっており、現代病に対して有効な薬草であることがわかってきました。